【益世地区の伝統行事の案内5】
~ 大門祭について ~
上の ▶ をクリックすると大門祭のおはやし(お囃子)が聞けます。
大門祭は、毎年7月最後の土曜日の1週間前の土曜日に催行されます。御神事は昼間におこなわれますが、夜になると大勢の氏子が大太鼓と大鉦を打ち鳴らして町内を練り歩いて八重垣神社へ参り、拝殿の前にて篠笛もついた神楽として奉納されます。
由来は平安時代初期 貞観年間(859~875年=清和天皇の時代)に、卜部清磨という人が勅命により津島神社の神様(牛頭天王=ごづてんのう)を京都へ勧請する途中にこの地で一泊され、地元の人々が海へ出て魚を採って献上したのがこの祭りのはじまりであると伝えられています。
夏の真盛りで疫病が流行し農作物にも病害虫が蔓延する季節、それらの悪疫を防ぐために、明治時代までは多くの松明も掲げて、特に稲の「いもち病」などを媒介する害虫を大音響で退散させる「虫送り」の行事になっていました。今も地元ではこの祭事を「いもち」と呼んでいます。
「虫送り行事」は全国的に農村地域で広く行われていましたが、だんだん廃れていって桑名市でもこの大門祭だけになってしまいました。昭和33年には桑名市の無形文化財に指定され、大福自治会内の保存会によって準備・開催すべてが執行されています。終戦後までは2日間にわたる祭礼でしたが、近年では規模も縮小され、土曜日1日だけの祭礼になっています。
大門祭という名称は大字大福の中の字「大門」の祭りということで名付けられました。
~ 八重垣神社について ~
桑名市大福261番地(国道1号線の東側)に鎮座し、牛頭天王を祀る神社で江戸時代までは「牛頭天王社」と称して、大福地内にあった大福田寺の鎮守でもありましたが、大福田寺は東方(現在)の地に移ってしまいました。明治になって津島神社との関連で須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る出雲大社関連の「八重垣神社」と命名されました。
神社が所有する「湯立釜」2基は、桑名の鋳物師広瀬与左衛門政次の明和7(1770)年の銘が入っており、これも桑名市の文化財(有形)に指定されています。また現在の拝殿は文化5(1808)年に建立されたもので、共に江戸時代から伝わる貴重なものです。
現在関係する自治会は 大福、大福東、八重垣町、八重垣町東、大福南の各自治会です。