益世小学校は、令和7年(2025)10月に創立150周年をむかえます。これに先立ち100周年の時にまとめられました校誌「益世」から「益世小学校のあゆみ」を再録で、連載します。
掲載は、原則として、毎月初旬に1回、連載は、全15回の予定です。
3.よくかわった学校のしくみ
下等小学校と上等小学校
明治5年9月に出された国のきまりによりますと、小学校は、4年ずつの下等と上等の2等に分かれていました。
下等は、6歳から9歳までの子どもが入学し、上等は10歳から13歳の子どもが入学することになっていました。そして、それぞれが8級に分かれ、全部で16級になっていました。
6ヶ月で1級ずつ進み、1年で2級進むことになっていました。級を進むためには、試験に合格しなければなりませんでした。成績がよければ、2ヶ月、3ヶ月で試験に合格し、級を進むこともできました。もし、試験に合格できないときはもういちど6ヶ月間、その級の勉強をしました。3回落ちると、退学になるというしくみになっていました。
試験には、小試験・定期試験・大試験があり、下等の1級を卒業するときは大試験を受け、上等に入学します。大試験は、県から係の人がきて行いました。
初等3年 中等3年 高等2年
明治14年5月、国のきまりが改正され、下等4年、上等4年であった小学校を、初等3年、中等3年、高等2年に改めました。そして、今まで就学をすすめるために認めてきました6歳以下の子どもの入学を禁止しました。
小学校令と小学簡易科
明治19年に学校令が出され、学校のしくみも、せいぜんと整えられるようになりました。
小学校は、尋常小学校4年、高等小学校4年の二つの小学校に分かれました。そして、尋常小学校の4年を義務教育としました。
ところが、このころは、世間が不景気で、人々の生活がたいへん苦しい時代でした。多くの人々は、お金を出してまで、学校へ子どもをやろうとしませんでした。そこで、国では土地の事情によって、小学校簡易科をもうけ、尋常小学校にかえることを認めました。
走井学校も、この時「走井小学簡易科授業所」と名まえをかえました。
小学簡易科は3年で、一日の勉強時間も2時間から3時間ときめられ、授業料もとらないことになっていました。学習する教科も、「読書・作文・習字・算数」で、算数は、授業時間の半分以上であることになっていました。尋常小学校にくらべると、「終身・唱歌・体操」などの教科がありませんでした。
世間の人々は、小学校簡易科授業所のことを、「貧乏学校」とよんだそうです。
(再録 令和5年10月 市川 記)