益世小学校は、令和7年(2025)10月に創立150周年を迎えます。これに先立ち100周年の時にまとめられました校誌「益世」から「益世小学校のあゆみ」を再録で、連載いたします。
掲載は原則として、毎月初旬に1回します。連載は、全15回の予定です。
7.戦争中のようす
国民学校となる
昭和6年に満州事変がおこってから、昭和12年7月には、日支事変、昭和16年12月には太平洋戦争と、日本の国は、次から次へと戦争をしてきました。
戦争が広がるにしたがって、学校のようすも大きく変わってきました。
学校の名前が、昭和16年に、桑名市立第五国民学校となりました。国民学校になって、教科も国民科(終身、国語、歴史、地理)、理数科(算数、理科)、体練科(体操)、芸能科(音楽、図工、裁縫)となりました。内容も戦争に役立つ人間を作るためのものが多くなってきました。修身や国語の本の中には、戦争でてがらのあった人の話や、日本の国の神話などが多くのるようになりました。
体練科は、分列行進をはじめ、男子の剣道や女子のなぎなたなどがさかんになりました。
成績のつけ方も、甲・乙・丙から、優・良・可に変わりました。
学校にくると、奉安殿と二宮尊徳の像に一礼してから教室に入り、運動場で遊びました
先生方も校長室に神だながあり、神だなにおまいりしてから、校長先生に朝のあいさつをしたものです。
苦しい悲しい想い出(その1)
戦争がはげしくなるにしたがい、お父さんたちの中から、戦争に出かけなければならない人が、どんどんふえてきました。そして、戦争に出かけていく人たちを町内の人たちは、「武運長久」と書いた大きなのぼりを持ち、駅まで見送りに出かけました。
学校でも、高学年の人たちは、手に手に日の丸の旗をもち、大だいこに合せて、「海ゆかば」「出征兵士を見送る歌」などを歌いながら、町内の人たちと一しょに、駅まで見送りに行きました。電車が来ると「ばんざい・ばんざい」と大声をあげて見送りました。
(再録 令和6年3月 市川景範 記)