第二次大戦終戦後の昭和23年(1948)にはそれまでの町内会が自治会と改められるとともに益世地区自治会連合会が結成されました。
昭和30年代から40年代には、丘陵地域の住宅地開発が進み、多くの人が住むこととなり、この地域は大成小学校区でありましたが、霞町、神楽町、立花町が、昭和35年(1960)に益世小学校区に編入され、現在の益世小学校区、すなわち益世地区自治会連合会の区域となりました。
第二次大戦終戦後の昭和23年(1948)にはそれまでの町内会が自治会と改められるとともに益世地区自治会連合会が結成されました。
昭和30年代から40年代には、丘陵地域の住宅地開発が進み、多くの人が住むこととなり、この地域は大成小学校区でありましたが、霞町、神楽町、立花町が、昭和35年(1960)に益世小学校区に編入され、現在の益世小学校区、すなわち益世地区自治会連合会の区域となりました。