【野草雑感 Ⅻ】

投稿  新矢田一丁目  市川 景範

タカサゴユリ と シンテッポウユリ

タカサゴユリ(高砂百合)

シンテッポウユリ(新鉄砲百合)

この季節になると当地(三重県桑名市)でも、方々で白い花の一見テッポウユリかと思うよく目立つユリの花がみられる。

この植物の名は、ここでは一旦「タカサゴユリ」としておこう。

タカサゴユリは、台湾原産のユリで、日本には1920年代半ばに、切り花観賞用として導入された。

日本での他のユリは、実生(種から育てること)では花が咲くのに数年を要するのが、タカサゴユリは7~8か月で、種のできた秋に種を蒔けば翌年には花が見られる。

タカサゴユリは、その他の特質として、受粉は基本的には風媒花であるが自家受粉が可能であり確実に結実し、一つの花での種子の数は約1000個(他のユリの約2倍)ほどを風に乗せて遠くまで広範囲に飛ばすこと、また生育環境は明るい場所であればあまり選ばず3年程度で高さ1mを超え、一茎で数個の花をつけるほどに成長するなど生命力の強い植物である。

タカサゴユリは、原産地の台湾から九州に移入され、庭園や切り花用に栽培されていたが、上述のように大量の種子が、風で広範囲に拡散され、持ち前の種子繁殖と生命力の強さにより野生化して、九州から東北地方まで拡がっていった。

一方、タカサゴユリの種から育てて1年足らずで花が咲く、荒れ地でも良く育ち2、3年で一茎に数花を着けるほどに大きくなるなどの特性は大変な魅力であり、それらを活かすべく近似種であるテッポウユリとの交配が試みられ、1951年に「シンテッポウユリ」が作出、発表された。

当時、筆者は10代であったが、「種から1年足らずで花を咲かせられるユリ」として珍しく種を購入して栽培した記憶がある。

シンテッポウユリは、花はテッポウユリのごとく純白であるが、この点以外はほぼタカサゴユリの特質を備えており、前述のタカサゴユリのごとく栽培地から逸出して、野生化するとともにタカサゴユリやシンテッポウユリ相互など複雑に交雑を繰り返している。

野生化したタカサゴユリが、当地で見られるようになったのは今から60年前ごろであるが、その頃の花は本稿巻頭の写真のごとく、外被片に紫色の縦縞があり、正に「タカサゴユリ」であった。

現在は、ほぼ全ての花が純白、すなわち「シンテッポウユリ」で、外被片に縦縞のあるものは何時の頃からか一般には見られなくなった。

本稿の冒頭で、「一旦タカサゴユリとしておこう」と記したが、これは最初の頃咲いていたのは野生化したタカサゴユリであったが、現在はほとんどがシンテッポウユリに置き換わっており、シンテッポウユリと呼ぶのが正しいが、このように咲いているユリを「タカサゴユリ」と呼んでいるのが多い。

どこからともなくやって来た「シンテッポウユリ」の群れは、数年すると突然どこかへ旅立ったようにほぼ一斉に消える。これはウイルスあるいは病原菌などによる一種の連作障害で、消える前年あたりには花や株全体に病的な奇形などが見られることがある。

筆者の近隣にあるシンテッポウユリの群れで、群れの一部分の全数が本年突然消え、その他の部分では個体に奇形が多く発生しており、来年の全面消滅が想起される。

シンテッポウユリは、上述のようにテッポウユリと外来種である台湾原産のタカサゴユリとの交雑種であり、繁殖力の強さ、広範な分布などから、日本の固有種のユリとの交雑が危惧されている。

環境省の「生態系被害防止外来種リスト」で「その他の総合対策外来種」に指定されている。地方行政独立法人大阪府立環境農林水産総合研究所(羽曳野市)では、花後の朔果を集め破棄するなど対策を始めているところもある。

昨年、当地の一角でシンテッポウユリの群れの中に、少数ではあるが紫色の縦縞のある「タカサゴユリ」が混じっていることを見つけ、本年も存在が確認された。

60年ほど前になろうか、初めて「タカサゴユリ」を知った時を懐かしく本拙稿を思いついた次第です。

以上