【野草雑感 Ⅳ】

投稿者  新矢田一丁目  市川景範

ヒガンバナ(彼岸花 曼珠沙華)

 お彼岸の声を聞く頃、あの真っ赤な花が目に入ると秋の訪れをしみじみと感じる。

曼珠沙華ひたくれなゐに咲き騒(そ)めく
野を朗らかに秋の風吹く   伊藤左千夫

 日本の野に咲く秋の花は、地味なものが多い中で、この花は、色、姿形が全く異色であるが、田畑のあぜ道、水路の縁、土手などに大小の群落を作って一斉に咲き始めると正に日本の秋の人里、田園の「原風景」である。この風景の中での彼岸花は風景全体の調和を積極的に作り出している主役である。

 彼岸花は、2,500~3,000年ほど前に稲作とともに大陸から移入された史前帰化植物と考えられており、人里近くで人の暮らしとの関わりが多かったせいであろうか、その呼び名の方言は四百種を超えるという。その多くは、不吉な名前、意味不明なものなどあまり好感を持って見られていない。

 これは日本の野の花にはないあの真っ赤な色と姿形の奇異さ、強い毒性、花が咲いても種が出来ないなど気味悪がられ、忌み嫌われることが多かったのであろう。ジゴクバナ、ハカバナ、シビトバナ、ドクバナ・・・。桑名辺りでは幼き頃「シタマガリ」と呼んでいた。

 日本の野にある彼岸花は、何故か染色体が三倍体で、花が咲いても種が出来ない。繁殖は専ら土中の球根の分球によるため分布の拡がりはそう広くはならないはずなのに、稲作と共に人の手により広められ、かなり古くに沖縄~東北地方にまで広がっている。

 彼岸花の球根には豊富な澱粉が含まれており、同時に毒性の強いリコリンなる物質を含んでいるが、十分水で晒して毒抜きをすれば食用になる。稲の品種改良が未だ十分でなかった昔、稲作は冷害による飢饉が幾度となく襲い、絶えずその恐怖に曝されていた。

 岩手県地方では、有名な天明の大飢饉で人口の三分の二が死に絶えたが、彼岸花の球根を手に入れる事が出来た村だけが残ったとの記録もある。彼岸花は稲作の日本人の大切な大切な「救荒植物」であった。

 彼岸花は、人里近くにあって、その繁殖を人の手によって助けられ、稲作不作の飢饉時には多くの日本人の命を救ってきた。日本人と彼岸花の間柄は、三千年に亘っての互恵のお付き合いであった。

曼珠沙華のはなあかあかと咲くところ
牛と人との影通りをる  北原白秋

今年もまた「彼岸花のある日本の秋の原風景」を味わってみようと思う。

備考  彼岸花 絵手紙は、江場 みやこわすれさん提供で掲載しました。

以上