【益世小学校のあゆみ 第1回】

益世小学校は、令和7年(2025)10月に創立150周年を迎えます。これに先立ち100周年の時にまとめられました校誌「益世」から「益世小学校のあゆみ」を再録で、連載いたします。

掲載は原則として、毎月初旬に1回します。連載は、全15回の予定です。

1. 学校のできるまえ

藩校と寺子屋

江戸時代は、「士・農・工・商」と身分の差があった時代で、武士の子どもとその他の子供どもでは、勉強する場所がちがっていました。

武士の子どもは、藩校や私塾で勉強しました。桑名藩では、1635年に、はじめて藩校を設けました。その後、いくたびも移り変わり、1813年修道館が、1823年(文政6年)立教館ができました。立教館は明治4年11月、桑名藩が廃止されるまで続きました。

庶民の子どもは、寺子屋で勉強しました。寺子屋は、村のあちらこちらにありました。当時、村では、物知りであった僧侶、庄屋、武士などが先生となって、村の子どもたちに、「読み、書き・そろばん」を教えていました。

益世地区では、1850年ごろ、矢田町善西寺で、学者 森金山という人が、勉強を教えていたという記録があります。

寺子屋という名まえは、もともとお寺で勉強を教えていたので、この名まえがつきました。先生のことを手習師匠といい、生徒のことを寺子、入学することを寺入りといっていました。後に物知りの人が自分の家で近所の子どもを教えるようになったのです。江戸時代には、方々に、たくさんの寺子屋ができ、多くの子どもが寺子屋で勉強しました。

(再録 令和5年8月 市川 記)