【益世小学校のあゆみ 第7回】

益世小学校は、令和7年(2025)10月に創立150周年を迎えます。これに先立ち100周年の時にまとめられました校誌「益世」から「益世小学校のあゆみ」を再録で、連載いたします。

掲載は原則として、毎月初旬に1回します。連載は、全15回の予定です。

6.昭和になって

益生村から桑名市へ

昭和8年3月、益生村は桑名町に合併しました。

当時の桑名町は、今の日進、精義、立教,城東の学区で、面積、5.3平方キロメートル、人口 27,300人余りの大きな町でした。学校の数も小学校4校、幼稚園2園、商工学校、実業補習学校、実業女学校が、それぞれ1校ずつありました。

益生尋常高等小学校は、桑名町に合併して、第5番目の小学校になりました。そこで校名を、桑名第五尋常高等小学校と改めました。

昭和12年4月1日に、桑名町と西桑名町(大成,修徳の学区)が合併して、桑名市が誕生しました。

桑名市第五尋常高等小学校から、市立の文字を入れて、桑名市立第五尋常高等小学校と、再び、校名をかえました。

桑名市は、小学校が全部で7校になりました。

大きくなった学校

昭和になって、児童数は年々ふえてきました。今までの校舎では、教室の数も不足してきました。益生の人々は、子どもたちが不自由なく勉強できるようにと、学校を増築することを相談しました。

その結果、昭和5年に、校舎一棟を二階建てに改築することにしました。立派な二階建ての校舎ができて、村の人々も、子どもたちも大喜びでした。村中あげてお祝いを新しい学校の校舎で行いました。

昭和9年には、新しい講堂も建設されました。続いて、昭和14年には、2階6教室が増築されました。教室の数は、全部で18となり、その外に、裁縫室、工作室の特別教室ができました。

運動場も広げられ、市内では大きな学校となりました。

(再録 令和6年2月 市川景範 記)